昨日書いた、FCバルセロナカンテラ、スクールコーチ流出の話の続きです。
昨日、バルサのコーチは世界中から引く手あまただと書きました。
確かにそうです。
ただ、裏を返せば、バルサのコーチ陣が出ていきたくなるような現状があることもまた事実です。
実際、バルサのスクール部門では、現場のコーチのほとんどがパートタイムでの勤務ですし、ほとんどが学生だったり、他の会社で働いています。
カンテラの場合は少し事情が異なります。
カンテラの年代別の仕組みを説明すると、下記のように選手の出生年によって、チームが分かれています。
*7人制
2003年生 → プレベンハミン(12選手)
2002年生 → ベンハミンC(15選手)、
2001年生 → ベンハミンB(11選手)ベンハミンA(11選手)
2000年生 → アレビンD(13選手)、アレビンC(13選手)
1999年生 → アレビンB(11選手)、アレビンA(12選手)
*ここから下が11人制
1998年生 → インファンティルB(23選手)
1997年生 → インファンティルA(22選手)
* 韓国人のパク君所属、飛び級選手がでてくるのもこの世代
1996年生 → カデテB(24選手)
1995年生 → カデテA(21選手)
*アーセナルに引き抜かれたジョン・ミケル・トラルはこの世代
1993-94年生 → フベニルB (25選手)
1992-94年生 → フベニルA (18選手)
そして、すべてのカテゴリーに正コーチ、副コーチ、トレーナー、クイダドールと言われる世話役と、デレガードと言われる人がいます。デレガードは具体的に何をしてるか今度聞いてみます。
コーチの話だけに絞ると、7人制のコーチは全員フルタイムではなく、パートタイムです。
そして、経験を積むことで上にあがっていけるかというと、これが至難の技で、毎年元選手などが上から降りてくるため、完全にフン詰まり状態で、野望を持ったコーチ陣にとっては、海外から経済的にも、ポジション的にもいいオファーがきたら、是非とも新たな挑戦をしたいというコーチが多いです。
そのため、これからもバルサコーチの海外流出は続いていくと思われます。
世界中に元バルサコーチが増えてきたらどうなるか。
結果的に、バルサというブランドが広がっていくことになるでしょう。
元バルサのコーチが、バルサのことを否定しつつ、コーチングなどできないからです。もちろん地域の文化にあわせて変えていくことはするでしょうが。
そして、海外挑戦したコーチ陣が何かのタイミングでまたバルセロナに戻り、海外での経験をバルセロナに還元していくと、バルセロナという町のサッカーに深みが増していくだろうし、元バルサコーチにバルサのサッカーを教えてもらったチームや、その地域はバルセロナ遠征をするでしょうし、バルサの試合を見るでしょう。
それがまわりまわって、バルサというチームのブランド力の向上につながっていくでしょう。
つまり、人材の流出はバルサにとっても決して頭を悩ます問題ではないのではないかなと思います。