前回、話をしたキャプテン翼プロジェクトですが、高橋陽一先生に同行してのバルセロナ取材は、2月中旬。
その後、翼Tシャツが発売されたのが3月7日でした。
このときには会社の状態がやばいってことは知っていましたが、まさか倒産寸前だとは思いませんでした。
というのも、3月後半にもスペイン、イタリア、ポルトガル、フランスへの出張へ行くことになったからです。
この頃から他部署の仕事の手伝いをするようになってきていました。私が所属していたのはライセンスマーケティング部だったのですが、商品部の予算での出張だったのです。
みなさん、会社が倒れるときってどんな感じか想像できますか?
よく、自分の会社が倒産したってことをテレビではじめて知ったとかいうのを聞いたことあったのですが、僕は「またまた~~そんなわけないやん」と思ってました。 自分が経験するまでは。
3月のヨーロッパ出張から帰ってきた翌日、朝会社にいくとどうも会社の様子が変でした。
昼を過ぎたあたりに僕が何も知らないことを把握していない同僚から声をかけられました。
同僚 : 「はま、聞いた?」
僕 : 「え、何を?」
同僚 : 「3時らしいよ」
僕 : 「え、何が」
同僚 : 「リリースでるらしいよ。」
僕 : 「え、何の?」
同僚 : 「え、はま知らなかったの?、民事再生するらしいよ。」
僕 : 「まじ・・・?」
そして、運命の3時。
ニュースリリースと同時に債権者(取引先)からひっきりなしに電話が・・・。部長からの命令では、「とにかく何も答えるな。すべて部長にまわせ」と。
今まで仲の良かった取引先からは、「どうして何も教えてくれなかったんですか?」「知ってたんでしょ?」とか、いやまさに信用がなくなるとはこのことやなあと思いましたよ。
さらに上層部から出た指示は、取引先が現物回収に来る可能性が高いので、店にいって追い返せと。。
民事再生法適用の申請をした3月30日からは、新たにお金の発生する仕事を進ませることを禁止されました。というのも法律で営業活動をすることを禁止されるのです。
つまり、
仕入れ禁止!
広告禁止!
他社とのタイアップ禁止!
店の営業だけはOK!
そして仕事内容は・・・
ひたすらネットサーフィン。
お茶する。
他の社員と身の振り方の話をする。
などなどでした。
まあ、つまり会社の身売り先が決まるまでは遊べってことでした。
民事再生というのは簡単にいえば、倒産ではなく、債務を帳消しにして再出発ができるという制度でして、一応雇用は保証される場合が多いらしいです。
僕は下っ端の社員だったので、上のほうで起こっている話などはあまり伝わってこなかったし、営業ではなかった
ので他社へ侘びに行く必要もなく、身の振り方の話をしょっちゅうしていました。
部署ごと独立して、会社を立ち上げようかとか、夢のような話がでてきては消え、現実路線に戻るという感じでした。
僕はといえば、28歳ですでに4社めだったのでさすがに5社めの会社に転職するのもどうかなあ・・・という感じ
でリクナビとかを眺める毎日でした。
東京にでてきて9ヶ月ほどたって、それなりに刺激のある生活だったこともあって、東京をでるつもりはなかったのです。
ただ、せっかくFCバルセロナと仲良くなれたのに違う業界にいって、バルサの人達と疎遠になるのもなんか中途半端やなあと思ってました。
自分の思いとしては、とにかくバルサと一緒に何かやりたい!という思いが大きかったです。
それ以外は特になく、でも独立しようにもお金はないし、会社作ったこともないし、ぺーぺー社員以外はやったことないし・・・ってことで、そら無理かなあ。。と。
でも、独立するならこのタイミングしかない!!!
という確信に近い思いはあり、今自分が出来る可能性のあることを探る日々でした。
8ヶ月ほどバルサを担当して、わかっていたことは、バルサにはコアファンが多く、バルサのソシオになりたい!という人が非常に多いこと、そしてその年の8月にはプレシーズンマッチのために日本にくることでした。
僕が漠然と描いたことは、日本でソシオを募集したら、結構な人がソシオになるんちゃうかなということでした。
とはいっても、自分で勝手にHPを作っても、誰からも見てもらえへんし、そもそも、おれ、HP作れへんやん!
ということで、どうしよっかなあと考える日々が続き、ふとひらめいたことが、あるHPとのコラボでした。
そのHPはブラウグラナ(www.blau-grana.com )というHPで、バルサファンからは絶大な人気を誇るカリスマサイトでした。
僕は、さっそく管理人のユウさんという方にメールを書き、事情を説明し、話がしたい旨、連絡しました。
もともと何回か告知協力とかしてもらっていたのでメールだけですが、一応知り合いという感じでした。
すぐに返事が返ってきて、とりあえず、神戸で話をしましょうということになり、ご対面。
確か、2004年の5月ですね。
ソシオの代理店をブラウグラナをメインに展開したいという話をしたところ、「いいですよ」とあっさり。
とはいってもどれぐらいの人がソシオになりたいとかわからないし、当の本人があんまり自信もなかったため、リスクを避ける目的と、バルサとの交渉をするにしてもどれぐらいの人がなりたいといっているか数字で説明しないと権利はとれないだろうなと思いサイト上でアンケートをすることになりました。
ふたをあけてみると本当にびっくりで、確か10日間ほどアンケートをしたのですが、有効回答が2000強あり、そのうち90%
ぐらいがソシオになりたい!ということで、さらに80%以上の人が、バルサグッズをサイト上で買えればいいなあと思っていたことでした。
そしてその数字を元に事業計画を作り、現バルサの副会長であるマークイングラに直接メールでプレゼン資料として、メールを“送信”。
今もその事業計画書は持っているのですが、今の自分がみると本当に質が低くて恥ずかしくなってしまうレベルのものですが、大切にとってあります。
バルセロナに送った事業計画書は、まあ、無視されればそれはそれで、とりあえずやれるだけのことはやったので、悔いは
ないかなあと自分の中で納得してました。