私のスポーツマネジメントとのかかわりは2003年7月21日に始まりました。
6月末ぐらいに入社が決まり、7月に一度東京にきて、家を探しました。東京には住んだこともなく、土地勘も全くなかっ
たのですが、東京滞在期間は2日しかなく、とりあえず不動産屋さんに見繕ってもらったのを3つぐらいみて、そのうちの
一つに決めました。初台勤務ということでとりあえず、家から電車1本でいけて20分以内という条件で適当に決めました。
最初の住まいは芦花公園になりました。
当時の家賃が7万6千円、会社での給料が額面20万9千円。
給料は大使館時代の三分の二ぐらいになりました。大使館時代は、家賃は90%ほど負担してもらっていたので、実質給料は半分ぐらいになった感じですね。
普通は、給料の3分の1以下でないと生活は苦しいらしいですが、正直東京での最初の1年の暮らしはきつかったですね。昼は5割ぐらいの確立で吉野家。とにかくお金がなかったので牛丼にけんちん汁つけるかどうかですら悩むぐらいでした。笑
入社して配属されたのが、ライセンスマーケティング部というところで、簡単にいえば、海外から取得したのマーチャンダイジングライセンスの管理という仕事でした。
当時、会社が持っていたライセンスは、ACミラン、インテル、FCバルセロナ、マンチェスターユナイテッド、ユベントス、ハンブルガーSV、フェイエノールト、FIGC、MLB、NHL、NBA、NFL、WWEなどなどです。
この会社は日本全国に25店舗ぐらいのスポーツファングッズショップを展開していて、特にお台場にあったグランドームというオフィシャルグッズショップが集まっているところは本当に物凄いとしかいいようがないほど贅沢なショップでした。(内装が。)
お台場にはすでにACミラン、マンチェスターユナイテッドのオフィシャルショップがあったのですが、僕が入社した直後にはインテルミランのオフィシャルショップがオープンし、その1ヶ月後にはFCバルセロナのオフィシャルグッズショップがオープンすることになっていました。
ショップオープンそのものは仕事的にはそこまで大変な仕事ではないのですが、海外のライセンスの取得しているので、ロゴなどを使用するすべてのものはアプルーバルといってライセンサー(ライセンス元)の承認をとらなければならないので結構大変なのです。
バルセロナのオフィシャルショップのオープンが2003年8月29日を予定されていたにもかかわらず、ショッピングバッグとか、内装とか、店員ユニフォームとか、そういった様々なものの承認が全くとれていない状態で、会社はてんやわんやの状態でした。
入社してから1週間ぐらいは、あまり仕事もなかったのですが、8月からは、いきなりバルセロナ担当として、実戦に放り込まれることになりました。
というのも、当時会社にはスペイン語を使える人が一人もいなかったために結構仕事が滞っていたのです。
私はそもそも小売業、ライセンスビジネスなどを一切やったことがなかったので、とりあえず適当に仕事を進めていたのですが、もともとサッカーそのものには相当詳しかったので割とスムーズに仕事に入りました。
主に担当していたのは、承認作業で、いろんな部署からまわってくるデザインなどをサクサク許可をとっていく仕事です。
実は、担当になってしばらく、自分が何のために、バルセロナに承認を出しているかよくわかっていませんでした。笑
とりあえず承認に出してくれといわれて、いろんなファイルがメールで送られてくるので、「承認よろしく!」みたいな感じで
すべてバルセロナに横流し。
まあ、完全に伝書鳩ですね。
バルセロナ側としては、スペイン語でやりとりができるので楽だったようです。