JICAの試験

2007.4.4

2002年9月、ベネズエラ駐在から帰国しました。

帰国前描いていた今後の人生のシナリオは・・・

1. ベネズエラ永住

  → 仕事を探す(日系企業)
  → ベネズエラで起業する。

2. 国際協力の道へ進む

  → JICAを受ける
  → 青年海外協力隊を受ける
  → 国際開発関係の大学院へいく

3. 民間に戻る

  → スペイン関連の仕事
  → マーケティング関連の仕事

こういう感じでした。

ベネズエラ永住の道は早々にくずれました。
その理由はなんといっても、「日本人がいない」ということです。日本人の女の子の友達とか欲しいなあと思っても、カラカスにいる日本人の女の子って、大使館の書記官の娘とか、いわゆる不可侵の人たちなのです・・・。

ベネズエラ人もそれはそれでありっちゃあありなのですが、いかんせん、侘びさびが通じない。

すみません。話がそれました。
まあ、単に日本に帰ってきたかっただけですね。

残り2つの選択肢の中では、やっぱり国際協力かなあってことで、JICAに絞りました。

JICAの社会人入試は5月だったので、つまり9ヶ月間は強制的にぷー太郎なわけです。(浪人と呼ぶのか?)

そこで、帰国後は、日本で1ヶ月英語学校に通い、その後、AMDAというNGOのスタディーツアーでネパールの奥地へいき、1月からは、イングランドのボーンマスに2ヶ月語学留学しました。

いや、ほんとに、超のんきな27歳でしたね。
ボーンマスの学校でも20代後半の男でのんきに語学留学なんて来てるやついなかったですもん。

それもこれも、自分はJICAの試験に受かるという根拠のない自信からでした。 5月を迎えて、意気揚々とJICAの試験を受けにいきました。結果は筆記で撃沈。

にもかかわらず、落ちても大して悔しくなかったんですね。

この時点で、27歳独身、実家で暮らし、無職期間9ヶ月。
転職暦3回。これってニ、ニ、ニートじゃないですか!

この頃、家で毎日リクナビNEXTとか見てました。
サッカーの仕事もないかなあと思って、サッカーエージェントのジェブエンターテイメントのサイトを見たりしてました。

7月に入って、そろそろマジでやばいという時期にリクナビで「スペイン語」でなんとなく検索し、引っかかった会社に日本スポーツビジョンという会社がありました。

英語必須、スペイン語かイタリア語できれば尚良しみたいなことが書いてあって、急成長中のわが社で活躍しませんか?
とありました。

サッカー+スペイン語+英語ってことで、すぐに応募しました。
書類選考を通過し、次はいきなり人事部長面接。

実は、日本スポーツビジョンは、海外サッカーチームのマスターライセンスを5チームほど獲得していて、私が面接を受けていたときは、ちょうどFCバルセロナのオフィシャルショップをオープンさせる2ヶ月前のタイミングで、スペイン語が出来る人が欲しかったようです。

そのまま社長面接もすんなり通り、内定から2週間もしないうちに東京に引越し、入社することになりました。確か、2003年
7月21日だったと思います。

かくして、ぷー太郎期間は、10ヶ月9日で終わりを告げることになりました。